現在では毎日お風呂に入り、シャンプーを使って洗髪する習慣が当たり前になってきていますが、このような習慣がついたのはごく最近の時代になってからのことなのです。
この記事ではヘアケアの歴史を古代までさかのぼり、どのようにして現代のヘアケア習慣が出来上がっているのかをご紹介してきますので、是非興味のある方は最後まで一読ください!
Contents
古代のヘアケア
髪の歴史は「沐浴」の歴史とともに始まります。本浴の動機や目的には、宗教上の儀式、傷病の治療、保健衛生などが挙げられます。
中でも宗教的動機が一番大きかったことは、東西ともに共通しています。
沐浴
「沐浴」というのは髪・身体を洗い清めることです。古代の洗髪、沐浴の目的は、文字通りこの斎戒沐浴であり、宗教的な意味合いを持つことだったのです。
日常一般の生活の中で、洗髪、入浴などが行なわれるようになったのはずいぶん後のことで、古代にはめったに洗髪などしなかったに違いありません。
江戸時代以前のヘアケア
江戸時代に入るまでにヘアケアの歴史は大きく変化しつつありました。
主に奈良・平安時代の日本の髪の毛事情は今に通ずるものもあるとみています。奈良・平安時代のヘアケアを見ていきましょう。
奈良・平安時代
奈良・平安時代の上級階級の女性たちは、綿に丁字の油を含ませたものを油つぼに入れておき、髪につけていました。
平安朝の女性たちにとって長い黒髪は誇りであり、美人の証でした。
しかし当時の貴婦人たちは髪を洗うのに時間がかかり、たびたび米のとぎ汁を櫛につけて髪をすいていたのです。
ヘアケアの古い記録としては、この時代の「宇津保物語」(953~984)に七夕に髪を洗ったことが書かれています。
平安時代の洗髪は年に1回程度だったともいわれており、洗髪によって頭髪の粘りや汚れ、嫌な臭い、かゆみなどを取り去ることが今の時代と比較にならないほど、待ち焦がれた行為だそうです。
主な洗浄料
この時代の洗浄料としては、「そう豆」という古代中国で使用されていた小豆の粉のことです。
マメ科の植物でサポニンという洗浄成分が含まれており、その洗浄力を洗髪に利用していました。
また、書物には「延喜式」といった洗髪に用いた専用の桶が使われていたともいわれています。
江戸時代のヘアケア
江戸時代に入ると、女性の洗髪頻度は月に1~2回ぐらいでした。洗髪場所は縁側、井戸端などだったようです。
なぜ外で髪の毛を洗っているのかというと、江戸では火事が多かったこともあり、内風呂が規制され、相当な規模の商人でも内風呂のある家はなかったようです。
ではその中でどんなヘアケアを実践していたのでしょうか。時代の移り変わりとともに変化するヘアケアの歴史を是非楽しんでください。
江戸のヘアケア
江戸時代の女性の髪の毛はとても長く、その長い髪を洗うのはかなり大変なことで、まず天候を見定めて洗髪料の調製にかかっていました。
その後やっとのことで洗髪に移るという一日がかりの大仕事だったといいます。今では考えられないですね。
縁側で肌脱ぎになった洗髪の風景は、浮世絵のいい材料として現代でもその風景が残されています。
艶を出すために
室町から江戸時代になると、菜種、胡麻、椿などの油を髪油として使うようになりました。次第に油の量が増したので、うどん粉などが使われだしました。
さらに艶を出すために菜種油を練り上げたものを多量に使いだしたので、その洗髪には「火山灰」や「灰汁」を必要としました。
洗浄料として「灰」や「灰汁」がよく登場しますが、これらは水に溶いた状態でアルカリ性を示しますので、現代でいう食器用洗剤に近い働きをしていたのです。
昔の人々は、経験からこのことを知り、洗髪や洗濯に「灰」や「灰汁」を利用していたそうです。
明治時代のヘアケア
明治時代になると、国内で石けんが製造されるようになってきます。
明治6年、横浜磯子に石けん製造所ができたほか、長崎、神戸、東京など各地に工場が作られました。
石鹸工場ができたことをきっかけに人々の洗髪習慣は大きく変化していきました。
洗髪習慣
明治10年代になると、石けんは日用品として徐々に普及してきますが、国産品は粗悪で肌を荒らすこともあったので、まだまだ入浴や洗顔には洗い粉が使われていました。
実際洗い粉は、第二次世界大戦前までは最も需要の多い化粧料のひとつでした。
一方、洗髪習慣はというと、明治初年の文明開化で男性はちょんまげが廃止され、整髪剤もポマード、チックなどとなり、洗髪には石けんを使うようになりました。
大正時代になると
大正時代には、粉石けん、ホウ砂、炭酸ソ一ダ、炭酸カリ、リン酸ソーダなどの配給品が出回りました。
昭和30年以前の洗髪には、固形の化粧石けんや髪洗い粉という粉石けんがほとんど日本の洗髪の主流を占めていました。
シャンプーの登場
シャンプーという名称の商品が、はじめて日本で紹介されたのは昭和初年のことでした。
レート本舗が「なんでも洗えるシャンプー」という歌い文句で売り出した洗い粉がそうでした。
成分的には白土、椿油の絞りカスと少量の粉末石けんを、ふのりで混ぜ固めたものだったそうです。
昭和7年には花王から「花王シャンプー」が発売になりました。一見すると固形ですが、指で押すとすぐにさらさらと粉末状になり、これを水で練って使うというものでした。
昭和7年から昭和20年くらいまでのシャンプーは、この形態であったと思われます。
そして時代は昭和後期から平成へ
昭和39年に液体シャンプーが発売されると、それにすぐにとって代わられるようになりました。
液体シャンプーは性能の良さ、使いやすさなどから急激に普及しました。
昭和40年代に入り、リンスが登場して、今までのシャンプーだけの時代からシャンプー&リンス時代になり、これにともないシャンプー自体も汚れ落ちだけでなく、洗い上がり感の良いオイル成分やクリーム成分を配合したものが作られるようになりました。
昭和50年代になって髪の毛の構造や性質の研究が進むと、トリートメントやプローなどのヘアケア製品が登場し、シャンプーも髪の毛の損傷防止を考慮したコンディショニングタイプが作られるようになりました。
コンディショニングシャンプー令和の現代でも、シャンプーの主流を占めています。
最近では洗髪時、シャンプー、リンスの煩維きをなくしたいという「簡便性」へのニーズに比えて、シャンプーとリンスを一体化したリンス・イン・タイプのシャンプーも出現しました。
令和時代
私たちが今生きているこの令和の時代。ヘアケアアイテムはあふれんばかりの豊富な種類が展開されています。
最近では頭皮に優しく洗髪することができるボタニカルシャンプーなどが人気を呼び、昔では考えられないようなヘアケア習慣になっているのです。
ヘアスタイルの多様化がケア方法の多様化を呼び、様々なヘアケア方法が巷にはありますが、人によって合う合わないは様々です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?この記事ではヘアケアの歴史について解説してきました。
女性が洗髪を意識しだした奈良・平安時代でも、ヘアケアは宗教上の理由からということでした。
江戸時代になっても月に2~3回しか髪の毛を洗わないなんて、今では考えられないですよね。
時代の移り変わりとともに変わっていくヘアケア習慣。正し歴史の中で共通しているのは、天然成分をどの時代でもうまく使っているというところです。
私たちの時代ではどうでしょうか?これらの歴史を頭の片隅に入れ、頭皮に優しく天然成分たっぷりの洗浄料で髪の毛を洗ってみてはいかがでしょうか?