女性の薄毛

薄毛防止効果もあるボブヘアのはじまりーー大正ロマンの女性たち

毎年のようにヘアスタイルやヘアアレンジにはトレンドというのがあるものですが、昔の女性はあまりヘアスタイルを楽しむ習慣が今より少なかったでしょう。

しかし、大正時代に入ってから女性の髪型にも大きく変化が訪れるのです。

今までは女性の象徴は黒髪のロングヘアでしたが、明治に入り文明開化により洋装のスタイルが定着し、女性たちも大正時代に入ると自分らしさが出てきたのです。

今回は今につながるボブヘアの始まりを告げる大正ロマンを生き抜いた女性たちのヘアスタイルを取り上げてみました。

ボブスタイルの始まりはここから始まったに違いないでしょう。

「モガ」と呼ばれた女性たち

「モガ」という言葉をご存知でしょうか?

これは「モダン・ガール」の略で、西洋文化を受けて、洋装や洋風ヘアスタイルを取り入れた若者の女性のことを指します。

1920年代ごろ女性たちの外見は大きく変わりました。

お洒落な帽子に、ワンピース、肩までのボブヘア。

これがモガのスタイルだったのでしょう。

しかし、洋風の女性もいれば和装の女性も多く、半々くらいでしょうか。

若者を中心に西洋文化は瞬く間に広がりを見せたのです。

明治時代女性はみだりに髪を切ってはならないという法令も出たこともありましたが、そんなのも忘れてしまうくらい、女性社会の一歩前進を見せるような女性の堂々とした姿が残っています。

さらには女性の社会進出もこのころから出始め、大学卒の女子大生も存在するようになり、女性の学業向上や女学校なども創設され、女性のための活動が活発化されたのが大正時代です。

きっと大正時代の活動がなければ今の女性たちの姿は見れなかったのかもしれません。

レトロなヘアスタイル

さぁ気になるヘアスタイルですが、ざっくりいうとショートヘアが多く出回ったのはまさに大正時代です。

調べると今でも参考になるようなものも多くあります。

大正時代にヘアスタイルに大きく変化があったのは大正時代の終わりごろになるでしょう。

今100歳前後の方々がまさに大正時代終わりに生まれた方です。

それまでは明治の名残が残っており、髪を切ってはいけない風習がのこっていたのです。

なので当時の女性が髪を切るときは「断髪」とまで呼んでいたそうです。

当時髪を切る勇気がなかった女性たちがしていたヘアスタイルが、「耳隠し」スタイルです。

ロングヘアをクルクルを内側に巻き、耳を隠して後頭部で固めるという、なんちゃってボブスタイルが流行ったのです。

止めた後頭部にカワイイかんざしを挿したらモダンガールの完成です。

当時は耳を隠すスタイルがとても人気で今でも真似したくなるようなスタイルです。

大正末期になるをショートカットにする女性が急増し、ウェーブを当てたマルセルウェーブなどが流行ったそうです。

この時のショートカットはアンバランスで、今のように整ったきれいなカットではなく、少し偏ったのあるような感じでした。

ウェーブをさらにかけることで左右非対称の形にすることがトレンドのようでした。

前髪は基本作らず七三分け、六四分け、センター分けなど顔全体を見せるようなスタイルが基本でした。

全体的に髪が膨らむような丸い形の髪型が多かったのですが、これがまさにボブスタイルの始まりともいえるでしょう。

今のボブスタイルは種類が様々ですが、原型をたどれば大正女性のヘアスタイルにたどり着くでしょう。

当時「耳隠し」が流行ったわけは、当時洋装も和装もどちらもしていたので、和でも洋でも似合うようなヘアスタイルだったのからでしょう。

今までのような日本髪のようにしっかりしているわけではないですが、いくら和装でも髪の毛は垂らしたくないと思う方も多くいたと思われますので、このスタイルはとても受けたのだと思われます。

まさに大正女性が強く生きた象徴の一つになったでしょう。

大正時代の男性はどんな髪型をしていた?

大正ロマンを知ろうとすると女性ばかりが挙げられてしまうのですが、もちろん男性も大きく変化はありました。

若い女性を「モダン・ガール」と呼ぶなら、男性は「モダン・ボーイ」と呼ばれてました。

そんなモダンボーイたちはどんなおしゃれさんだったのでしょうか。

まず服装ですが、女性がワンピースなどを着るのが目立っていたのに対し、男性は和装メインのファッションが目立ちました。

基本スタイルはです。

そこに洋のものを取り入れているような感じでしょうか。

袴の下にボタン付きのカラーシャツを着たり、袴のウエイマントを羽織ったり、ポイントポイントで洋を抑えてるようにうかがえます。

よく、ドラマやアニメでこのスタイル観たことある!という人もいたりするかもしれませんね。

そしてこのころになると学生には制服が登場してきました。

学ランの始まりです。

今のように規定が細かくある時代ではなかったので、ガキ大将のイメージがあるかもしれませんが、学ランに似たスタイルは本当にあったそうですよ。

学ランがあるのは国立大学などのエリート学校のみだったそうで、賢さを象徴するのが学ランということになりますね。

一方の髪型ですが、この時にはやった髪型が「ツーブロック」です。

今でもツーブロックは男性の定番スタイルですが、大正時代が始まりだったのですね。

しかしこのツーブロックは別名「震災刈り」とも呼ばれていたそうです。

これは関東大震災の復興のために懸命に働くことを意味したスタイルだったのです。

当時のツーブロックは今のようなお洒落な髪型ではなく、あくまでもサイドを短くカットする程度で、今のように髪を立たせたりすることはなかったそうです。

トップはそのまま流すような感じに仕上がっていたのだとか。

そのほかにも、オールバック、七三分けなどが男性のヘアスタイルでは定番だったようですが、当時の男性は帽子をかぶる習慣が多くあり、切ったらほったらかしという方が多かったみたいです。

今のように整髪料もあまり出回ってなかった時代ですので、当時はヘアオイルなどでまとめる程度で仕上がっていました。

お洒落な男性も多く出現してきましたが、髪型は今の基礎的なものが多くありましたね。

帽子が当時の男性たちには一番の必須アイテムだったかもしれません。

ちなみに女性のお化粧についてですが、当時は細眉のおちょぼ口が人気だったので、それに合った濃い目のメイクが人気でした。

当時はおちょぼ口というのが品があり、可愛らしいとされてきたようです。

まとめ

女性のヘアスタイルを中心にファッションやメイクについても少し触れてきましたが、まさに大正時代の若者が私たち女性の社会進出を支えてくれていたに違いないでしょう。

その時代背景には、女性婦人たちの熱心な社会活動が女性という存在を変え、強く見せつけてくれていたからでしょう。

学校の社会の勉強でも女性の社会活動のことは触れていたと思いますが、時代はすぐ戦争期に入ってしまい、なかなか大正ロマンのことを語っているものはあまりなかった記憶があります。

改めて調べてみると、大正時代のトレンドが今につながって、それがさらに廻りまわって、モダンスタイルが今もヘアスタイルやファッションに生きていると思うととても歴史を感じますし、誇りに思いますね。

ボブヘアもこの時誕生してなかったら、今のヘアスタイルになっていなかったかもしれませんね。

大正ロマンを改めて知ると、今につながることが多くわかりましたね。