女性の薄毛

明治時代の薄毛に悩む女性の髪にまつわる法令

今では当たり前に髪を切ってカラーをして、トリートメントをしてと女性の美容室の利用は月一回があたりまえと思う方も多いかと思います。

しかし、女性が気軽の髪が切れるようになったのも長い歴史をさかのぼればつい最近のことだったのかもしれません。

明治時代に今では信じられない髪の法令が作られていたのでした。

それはいったい何なのか、そしてなぜそのような法令が生まれてしまったのでしょうか?

その時代ならではの風習がありました。

その名も「女子断髪禁止令」髪を切ってはならないルール

4月5日は「ヘアカットの日」と呼ばれています。

これは明治5年4月5日に東京府が女性はみだりに髪を切ってはいけないという「女子断髪禁止令」を出したことから始まります。

明治時代といえば文明開化が進み西洋文化が多く入っている時代ですよね。

男性はお侍さんのちょんまげがなくなり散切り頭のスタイルが増えていく傾向になっていたはずです。

そんなヘアスタイルにも文明開化の兆しがある中で、どうしてこのような法令ができてしまったのでしょうか?

しかし、これはあくまで、東京のみが発令したものです。

当時、女性はサラサラのロングヘアでつやのある黒髪が美しさの象徴であるという昔からの風習が明治時代に入った中でも残っていました。

しかし、明治に入って女性が短く髪を切りだすのが増えたことによりこのルールが作り出されてしまったようです。

当時は、髪の毛で住んでいる地域、お家柄、既婚か未婚かなどで変わっていたので髪型を見て判断する基準にもなっていたのでした。

それが崩れることもあまりよろしくなかったのでしょうかね。

でも女性からしたら、きれいなロングヘアをキープするのはとても大変ですよね。

今みたいにドライヤーがある時代ではないし、乾かすのにも何時間かけていたことか。

しかも、5日おきにヘアオイルで保湿し、シャンプーも月に数回程度のものでとても衛生的にはよろしくなかったのです。

当時「日本髪」というよく時代劇で見られる女性のヘアスタイルが基本でしたから、これを結ぶのにも一苦労です。

そんな女性の知られざる苦労を知らぬ男性たちの崩したくない風習という考えでこのルールができちゃったのでしょうか。

散髪脱刀令が先に発足されたのがすべての原因だった

「女子断髪禁止令」ができる1年前、明治4年に『散髪脱刀令』という法令が出されました。

一般的には断髪令と呼んでいたそうです。

これがすべての始まりだったのです。

この法令は今までまげを結んでいたものが自由に散髪をしてもよいということ、刀を刺さなくてもいいですということなのです。

当時、明治天皇も散髪を行い、天皇の周りを中心に従うものが増えていったのでした。

この法令はあくまでも男性に向けて出したそうで、女性も男性のように短髪にするものが増えていったので、東京は自ら女性に対するルールを出しあうのでしょうね。

この「散髪脱刀令」はすべてがうまくいったのかといえばそうでもなくて、まだ袴にちょんまげが捨てきれない人たちが廃止を求める声も多かったようでした。

当時の残っている写真を振り返ると、散髪・洋装姿の中に、袴のまげ姿の方も混じっているのがあります。

代表的なのは、岩倉具視でしょうか。

彼は岩倉使節団の中心に立ち、西洋にわたり西洋文化を多く取り入れたものであるが、日本を出る際の写真は袴のまげ姿でした。

しかし、シカゴから日本に戻るころには散髪洋装姿になっていたのだとか。

西洋文化に魅了された証拠なのでしょう。

この散髪令の反対する一機も起こりました。

およそ3万人もの人が撤廃を求めるよう騒動を起こしたのですが結果、6人が罪で死刑になったそうです。

そこまでしてまげを廃止する方向に進んでいって今の男性のヘアスタイルがあるのかもしれませんね。

12年後耐えかねた婦人たちが動き出す

女性の自由や権利が認められていない法令が出て12年、ついに婦人たちが動き出すのです。

毎日の家事が子育てのKとを考えたら「日本髪」なんてキープできないと思い、訴えだします。

せめて髪を短くできなくても一つに束ねて垂らすくらい許してちょうだいよ、ということになるのですが、これに対して政府が許可を出したのです。

ちなみに髪の毛は全く切ってはいけないわけではないようで、散髪届というものを出せばよかったそうです。

実際にこの届がとある民家から出てきたそうで、髪を切るのにそこまでしなくちゃいけないのと思いますよね。

でも女性からしたら『日本髪』のスタイルをしなくなっただけでもだいぶ楽になったそうです。

そりゃそうですよね、ただでさえこの時代は便利な家電もなく、料理をするにも火をおこし、洗濯するにも一枚一枚手で揉み洗いし、一つの家事をこなすのに今の何倍も時間がかかっていたわけですから。

髪のお手入れの時間が短くなるだけで切ることが増え、休む時間が増えるのですから。

こういう話を聞くと現代に生まれてよかったと思ってしまいます。

徐々に「日本髪」はへっていくが・・・

ご婦人たちの活躍もあり、徐々に「日本髪」の文化はなくなりつつあったのですが、この「女子散髪禁止令」はいつなくなったのか調べていたのですが、正式にいつ廃止なったのかはよくわかりませんでした。

しかし、女性が髪を短くし、おしゃれをしているのは大正時代に入ってからです。

なので、少なくとも明治時代のしばらくはカットはできなかったのかもしれません。

あくまで届け出なしで髪を切るのができなかったので髪を切ること自体はできていたのでしょう。

西洋と日本の文化が入り混じる明治時代の町並みはさぞかし、見ていて面白いでしょうね。

「日本髪」は簡単に髪を洗えなくて、オイルなどもたくさん使用していたので髪の毛にダメージがあり衛生的にもよくなかったので、髪を洗うときにオイルの汚れを落とすのに半日かかったとも言われているのです。

歴史をたどれば平安時代からこのスタイルはありますから、よくここまで女性たちは絶えましたよね。

それがあっての今かもしれません。

まとめ

「女子散髪禁止令」という今では信じられない法令が出されたのは100年ちょっと前のお話だと思うと不思議ですよね。

このヘアカットの日ができたのも、きっとこういうことがあって女性が大変だったことを忘れないために…ということもあるのでしょうね。

まだまだ女性に権利がない時代、男性の一歩後ろを下がって歩く、男は外、女は内、そんなのが当たり前だったのでしょう。

今でこそ女性が社会の中心的地位に立つことができ、外で働くことができ、自由に美容院に行ける、これができるようになったのも本当に最近のお話。

時代と共に女性の立場は見直されておりますが、まだまだ女性には厳しいと思われることもたくさんあります。

このように明治の強い女性たちの血が私たちのどこかにつながっているかもしれませんね。

文明開化の明治時代の裏にはこんな女性たちの髪の苦労があったと思うと、教科書では表面的なことしか知られていないというのが分かりますね。

歴史を深く掘り下げるとまだまだ知らないことがたくさんありそうです。

今だからこそショートカットにできて、髪をきれいにすることができるのかもしれませんね。