女性の美を表す「黒髪」。
そこにはたくさんの歴史が刻み込まれています。
古代から憧れられた黒髪ですが、そんな女性の髪の毛への人々の想いや歴史、髪型へと変遷とその時代の社会や文化などの関係性を読み解き、現代にわたるまで保たれた黒髪の女性歴史を紐解いていきます!
歴史に興味がある方や髪の毛の歴史について知りたい方は、是非この記事をご覧になって、黒髪女性として誇りをもって生きましょう!
Contents
古代には髪は霊魂が宿る神聖なものだった
卑弥呼の時代には、「巫女」と呼ばれる不思議な力を持った女性たちがいました。
これら女性たちに共通しているのは、腰まで届く長い髪の毛を持っていたことです。
古代の人々は、このように長い髪の毛を持つ女性こそが、神や魂と交霊できるものと信じていたのです。
このように、昔から日本では髪の毛は霊魂が宿る神聖なものと考えられていました。
またこの時代、女性には「髪あげ」という、ちょうど現在の成人式と婚約式の両方の意味を持つ儀式がありました。
これは、女性が1人前になるときに、少女時代から伸ばしてきた長い髪の毛を、夫となる男性の手によって結い上げてもらうというものです。
いわば、髪の毛を通して女性と男性の魂が結ばれることを表しています。
髪の毛は呪いの象徴でもある
髪の毛は不思議な力を宿しているということから、「呪い」の手段としても使われていました。
7~8世紀には殺したい人間の髪の毛をドクロの中に入れ、三度呪いの言葉をかけるとその人間は死ぬというもので、当時は効果ある呪術法として人々から恐れられていました。
一方、髪の毛は人間の意思とは関係なく伸びていくことから、人知の及ばない汚れとして恐れられてきたのも事実です。
江戸時代まで、髪の毛は自分で結っていた
日本の歴史の中で最も古い髪結は、平安時代に貴族の女性の髪の毛を結った「うちぎのひと」と呼ばれる女性たちだといわれています。
しかしこれは特殊な例で、一般的に髪の毛を他人に結ってもらう習慣は、江戸時代までありませんでした。
よほど身分の高い階級をのぞいて、男も女も自分で髪の毛を整えていたのです。
江戸時代前期
身分制度がはっきり区分された江戸時代になると、髪結も、営業の許可を認める「髪結い株」を持ったものしか行えない特権的な職業になりました。
当初は、髪結いは浪人階級のものが多く、客もほとんどが武士でした。
江戸時代中期
江戸時代も中期になると、髪結い床、つまり髪結いの店は、近所の人々が集まりうわさ話に花を咲かせる庶民への社交場へと変わっていきます。
このような女性向けの美容院の前身になる「女髪結」は、江戸の中期に登場したといわれています。
しかし髪結に結わせるのは遊女か芸者という世間の偏見が強く、髪結に対する世間の評判は良いものではなかったみたいです。
幕府も、贅沢を取り締まる一環として女髪結を禁止していました。
けれども、町人の贅沢指向はおさまらず、ペリーの黒船が来航した1853年ころには、江戸だけで約1,000人の女髪結がいたといいます。
日本人の洗髪と整髪の歴史
今でこそ、髪の毛を洗うのは顔を洗ったり歯を磨いたりするのと同じ日常的なものになっていますが、歴史上のヘアケアはそうではありませんでした。
平安時代
平安時代には、洗髪は「衣替え」のような、日々の区切りをつける特別な行為とされていたようです。
毎日、縁起を担いでいた平安貴族たちは、暦によって洗髪をしてはいけない日を決め、その日は決して髪の毛を洗わなかったといいます。
では、当時は何で髪の毛を洗っていたのかというと、10世紀の宮中での洗髪は、米のとぎ汁や白あずきの粉などを使っていたことが記されています。
平安美女の、あの床まで届く長い垂髪を洗うには、さぞ大量のとぎ汁が用意されていたに違いありません。
当時の髪型は、きちっと髪を結う必要がなかったせいか、髪油は使わず、洗髪のあとの整髪も米のとぎ汁で済ませていたらしいです。
室町~江戸時代
室町から江戸に入ることには、洗髪料も多様に出回り、小麦・粘土・緑豆・生大豆の粉・卵の白身などが使われていました。
また、男だけでなく女も結髪になったため、髪油が盛んに使われました。
ゴマ・チョウジ・ツバキ・クルミなどの脂が使われ、中でもクルミ油が最高級品とされていました。
また、江戸時代には、ロウと松ヤニ、それに香料などを混ぜて作った練り油の一種であるビン漬け油が売り出され、広く一般に使われました。
これらの髪油を洗い流すためには、火山灰土などが使われていたそうです。
江戸時代になっても、まだ、洗髪は日常的には行われていませんでした。
おそらくこの時代の女性は今よりもずっと長い髪の毛をしていたため、洗髪やすすぎには多量の水が必要だったと思われます。
にもかかわらず、シャンプーや水道もなく、そう簡単に洗髪できないということが日常的に洗えないという原因だと思います。
明治時代
明治維新に入っても、洗髪にはまだ白土を混ぜた洗髪粉が使われていました。
やがて国内に石鹸が普及するようになると、石鹸による洗髪が一般的になりました。
一方、男は断髪、女も日本髪から洋風な髪型に代わっていく中で、ビン漬け油の利用は激変し、代わりに使われるようになったのが水油です。
水油に香料を加えた製品も生まれ、人々はほのかな香りを楽しんでいました。
それが現代におけるリンスやトリートメントへと変化していくのです。
昭和時代
現在のシャンプー剤が使われるようになったのは、昭和30年代です。
当時は主に汚れ落としが目的でしたが、そのあとは髪の健康や保護などに目的が移り、最近では頭皮や髪の毛にやさしい弱酸性や、植物系シャンプーなどに人気が集まっています。
整髪料の主流は、昭和になるとポマードに移り、塗れたようなツヤと抜群のセット力に、一時は整髪料の代名詞にすらなっていました。
だが、最近では若者たちのサラサラ志向にポマードは合わなくなり、現在ではムースなどの新しい製品が使われるようになっています。
現代の黒髪女性がもたらす印象
日本人の髪の毛の色といえば黒髪。最近では茶髪だけでなく金・ピンク・紫など、様々な色に染める女性も少なくありません。
一人一人の個性が尊重されるようになってきた令和時代。
そんな時代の中でもやはり黒髪女性には何年たっても魅力を感じるものです。
黒髪女性がもたらす印象について、記事の最後にはなりますが考えていきましょう。
明るい
黒髪というとおとなしくて清楚なイメージもありますが、中には明るくはきはきとした元気な人もいます。
あまり自己主張をしなさそうなのが黒髪の印象ですが、地味だと思われがちだからこそ、人の前に立つと明るく接することができる黒髪美人は、人の中に埋もれないような美しさを持っているのです。
色白
黒髪女性の日本人は色白の印象がとても強いと思います。
ですが実際に肌の色はそれほど白くなくても、黒髪がもたらす色の調和でより白く見えるのです。
また、日本人女性は基本的に肌を日焼けすることを嫌いますので、余計に色白の人が多く見えるのでしょう。
美しい白い肌と黒く艶のある長い髪。
このコントラストがより女性の魅力を引き立たせているに違いありません。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
この記事では黒髪女性の歴史について解説してきました。
古来から美しいとされる黒髪は、歴史で見ると、神聖なものであったり、階級を表すものであったりと様々な意味が込められていました。
今でこそ毎日洗髪できる環境や道具がそろっていますが、昔の先人たちは日常的に洗髪することもままならなかったそうです。
黒髪女性の美しさは現代にも受け継がれています。
髪の毛の色は自由ですが、古来から美しいとされる黒く艶のある髪は令和になった現代も美しく感じる、日本人の象徴です。
是非あなたも日々のヘアケアに力を入れて、黒髪に誇りをもってみませんか?