髪は女の命っていうようにいつの時代も自分の髪の毛が綺麗でいてくれることに越したことはないですよね。
今は多くのヘアケア用品がありますが、今のように便利ではなかった時代、どのように髪の毛をケアしていたのでしょうか?
今回は平安時代の女性たちにスポットを当ててみました。
髪の毛を洗うのは1年に1回ともうわさがあったり、今と変わらないヘアケアがあったりと調べると今では考えられない驚きの方法でお手入れをしていました。
Contents
平安時代の女性にとって髪の毛は美人の象徴
平安女性の美人の条件には髪の長さ・美しさなどがあったといわれています。
他にも美人の条件には、一重で切れ長な目・子ぶりのお鼻・小さめの口なども挙げられますが、その中でも髪の毛は特に重視されていたようです。
しかし、なぜ髪の毛が美人の象徴になったのでしょうか?
それは男性の第一印象に残るのが髪の毛だったからなのです。
平安貴族の女性たちは男性に顔を見せることはほとんどなかったようで、男性も見れたとしても御簾越しや、ついたて越しで、さらに大きな扇子でで顔を隠すのが女性のたしなみでしたので顔は見ることができません。
いわばシルエットのみなのです。
そこで男性たちは、美しいつややかな髪の毛を見て美人と判断することがあったようです。
結婚が成立して初めて顔合わせすることもあったようです。
今では考えられないですが、この時代の貴族の恋愛はこれが当たり前のようでした。
髪の毛を洗うのに1日がかり!?美人になりたいが故の苦労
平安時代の貴族の女性は「垂髪(垂髪)」といって長い髪をそのまま垂らした髪型をしてました。
ちなみに貴族女性が髪を結ぶようになったのは江戸時代になってからなのだとか。
そんな美人髪のケアはとても大変でした。
まず、一人で髪の毛を洗うことができないのです。
洗って乾かし終わるまでに1日費やすのだとか・・・。
美人髪はロングヘアーがお決まりなのですが、その長さが驚きで、ほとんどの女性が自分の背丈以上の髪の毛だったといわれています。
当時の女性の平均は140㎝ほどなので1m以上はあったと思われます。
長い人は7~8mもあったといわれているから驚きです。
ここまで髪が伸ばせれるのは身の回りのお世話をすべてしてくれるような貴族の中でもトップクラスのお嬢様だけだったようですが、生まれてから髪の毛切らずにいてなのでしょうか。
さぁそんな気になる髪の毛の洗い方なのですが平安中期に記された『宇津保物語』には貴族女性の洗髪の様子が記されてます。
・髪を洗って乾かすまでは、朝から夕暮れまで。
・待女たちが貴族女性の両側に並んで、お湯で何度か洗う。
・乾かすのは丈の高い敷物を強いてその上に髪を広げて乾かす。
・乾かすと同時に薫物を焚いて髪に香りをつけていた。
お香をたくのは、しばらく洗えない髪の毛のにおいをごまかすための物であったそうです。
ちなみに髪の毛を洗う頻度なのですが、月に1~2回、1年に1回なんて説があります。
すごいビッグイベントのように感じてきました。
しかも髪の毛を洗う日は吉日などの縁起がいい日などに限られていたようで、自分では選べなかったそうです。
美人の条件といわれても今考えると不潔にしか思えないですが、これが当たり前だったのですからね。
シャンプーやヘアケア何を使っているのか
今のようにケア用品が豊富ではない時代、一体何で髪の毛を洗っていたのでしょうか?
これも先ほど紹介した書物『宇津保物語』に記されており、髪を洗うことを「御泔(ゆする)参る」と表現しており、これは米のとぎ汁やおこわを蒸した後の湯のことを意味しているそうです。
お米のとぎ汁など含まれる米ぬかが汚れを吸着する効果があるようで、洗浄効果もあるのだとか。
さらに米のとぎ汁には、ビタミンやミネラルも含まれているため、髪の栄養補給にもなっていたようですね。
これは今でもできそうですが、においのいいシャンプーや、髪に優しいものなども多くあるので、試す気にはならないかもしれません。
それ以外のケアとしては今もある椿です。
髪の毛を洗わないときのケアとして用いられていたようですが、椿の種から抽出される椿湯をとブラシで手入れをするのが基本のようです。
平安女性はヘアケアと髪の毛の艶出しのためにこの椿油を使ってました。
今と変わらないケア用品があるのも素晴らしいですね。
あの女流作家は髪の毛に悩んでいた?カツラやウィッグのようなものが存在した
実はあの有名な清少納言は枕草子で
「私は自分の髪の毛じゃないものをつけているせいかかみがちぢれて」
というのを書いてます。
実は清少納言のように髪に悩む貴族女性もいたようで、当時「かもじ」というものを用いてました。
この「かもじ」というのがカツラやウィッグのことにあたります。
死んだ人の髪の毛を用いていたようで、あまり、品質は良くなさそうですね。
今も髪の毛で悩む女性は多くいますから、パーマなどのない平安時代はもっと悩んでる女性はもっといてたでしょうね。
また、つやのある黒髪を保つために当時は炭で髪の毛を染めていました。
それにより肌の白さを強調することができるというのです。
すごい髪の毛にダメージかかりそうですが、美人の髪になるためにも1つや2つ苦労があって当たり前なのでしょうか。
庶民や男性の髪の毛はどうだったのか?
貴族女性の髪の毛事情については詳しくわかってきましたが、この生活をしているのは貴族女性のごく一部にすぎません。
では、ほかの女性たちはどうしているのでしょうか?
まず宮内に仕える女性たちはというと、1つに束ねたり、2つに束ねたりし、簡単なかんざしを用いていたようです。
一方庶民の女性たちは一応髪の毛を貴族女性のように垂らしていたようですが、農作業などの際は束ねたり、短く切ったりわりと普通のヘアスタイルで生活してたようです。
男性貴族は肩ぐらいまである髪の毛を一髻(ひとつもとどり)という名元から巻き付け結ぎ、烏帽子や冠をかぶっていました。
人前で冠や帽子を外すのは裸になるくらい恥ずかしいといわれてたそうで、私邸にいるときや、寝るとき以外ははずはなかったそうです。
貴族男性以外の庶民も帽子をかぶり露出しないようにしていたといわれています。
庶民の子供も割かし普通でで、動きやすい長さにカットしたり、結んだりしていたようで、過ごしやすいスタイルにしてたようですね。
まとめ
平安貴族の女性の髪の毛事情について様々な視点から紹介しましたが、今では考えられない生活をしていたのが分かりました。
美しい女性像の中につややかな髪の毛は今でも男性の印象に残るかもしれませんが、でも清潔でつややかな髪の毛がいいですね。
「髪は女の命」とよく言いますが、平安女性にとって一番ぴったりな言葉のような気がします。
もしかしたはこの時からすでに言われていた言葉だったかもしれませんね。
平安時代にタイムスリップできるなら、そのロングヘアーをぜひお目にかかってみたいものです。
日本ではありませんが、どこかの国の民族には髪の毛が長いと美人といわれてるところがあるようで、そんな話を聞いたときは平安時代のお話かな?なんて思ってしまいましたが・・・
今も昔も髪の毛は自分を表現する体の一部のような気がしました。
今は、いろいろなケア方法もあるので、平安美損に負けないくらい、髪を大事にしたいものですね。