女性にとって髪は、命とも呼ばれるほど大切なものであるのは、誰にとっても間違いありません。
これはいつの時代でも同じことでした。
現代では治せるようなことも、昔は治せなかったのですから、非常に大きな悩みとなって降り注いできたのです。
古くから変わらない髪の重要性
歴史の教科書などを見ると、ヘアスタイルが時代を象徴していることは誰にでも分かるでしょう。
音楽の教科書を見ると、有名な作曲家が、同じような髪型をしているのを見かけるはずです。
当然誰もが同じ髪型ができるわけではないため、かつらをかぶって対応していました。
それほど髪の存在は重要な意味を持っていたのが分かります。
女性の髪型でも、同じように時代によって違いがあるのがわかるでしょう。
日本で言えば、卑弥呼の髪型はお笑いのネタにされるほど印象的な形です。
これも髪があったからこそできるわけで、薄毛の人には到底真似できません。
髪があるというだけでも、大きな象徴となりれたと言えます。
だからこそ、薄毛になったりしないように、驚くほど古い時代からケアされてきたのです。
美しさの象徴であったロングヘア
日本語の特徴的な表現の一つとして、髪を結うという言葉があります。
髪を結ぶという意味がありますが、日本には黒髪のロングヘアが美しいと言う文化がありました。
今でも見返り美人などの絵によって、ロングヘアがもてはやされていたのが分かります。
百人一首などの絵を見ても、皆ロングヘアなのがわかるでしょう。
それほど美人の条件的な部分だったのです。
百人一首の時代から、見返り美人のような江戸時代まで、同じような髪型をしていたというのも注目しなければいけません。
束ねたりすることはあったとしても、現代の女性の髪型のように劇的な変化があったわけではないのです。
卑弥呼のような髪型は、相当特殊なものであったことが分かります。
どちらにせよ、髪が長くなければこのようなこともできませんでした。
そこでヘアケアが重要な意味をもつわけですが、日本の西暦600年あたりからサネカズラと呼ばれる植物の汁が使われるようになっていきます。
五味子と書いてサネカズラと読みますが、葉っぱやつるを絞り、この汁を髪につけて整えていたことが分かっているのです。
これによって黒く艶のある髪になったとされていますが、現代で使えるようなものではないでしょう。
しかし、それほど美しい状態を作るために、髪に気を使っていたことがわかります。
平安時代の髪のケア
現代でも使えるようなケアが出てくるのが平安時代です。
今でも使っている人がいますが、米のとぎ汁を使ったケア方法が出てきます。
ビタミンを豊富に含んだ米のとぎ汁は、髪のケアに良いとされており、現代でも注目するべき部分がある方法です。
このとぎ汁を入れて髪を洗うための専用の入れ物まで作られていたことが分かっておりますが、この時代の問題はこれではありません。
平安時代は髪を洗う習慣が薄かったのです。
1年に1回程度しか洗う習慣がなく、非常に不潔な状態でした。
頭部から臭いも出てくるため、お香を焚いてカバーするような習慣もあったのです。
米のとぎ汁自体も、シャンプーのように使うというより、髪をとかすために利用するヘアケア剤のような役割を持っていたと考えられます。
それでも美しく長い髪を維持するために、試行錯誤の結果生まれた方法ともいえるでしょう。
髪の結い方の変化
江戸時代に入ると女性のヘアスタイルが少しずつ変わっていきます。
大きな変化があるわけではありませんが、髪を結い上げる習慣が生まれてくるからです。
元になったと言われているのは、歌舞伎の源流とも言われている出雲阿国たちだったのではないかと言われています。
出雲阿国たちの踊りは阿国歌舞伎と呼ばれており、男性の役をするために女性が髪を曲げのように結い上げていたのです。
これを若衆髷と呼んでいましたが、坊主の女性達からとても注目されるようになり評判となったのです。
その派生型として定着したのが、現代でも見られる島田髷だと言われています。
それほど流行となりましたが、現代でも宝塚のはじめとする男役の人たちに憧れを抱くのに似たような感情ともいえるでしょう。
それほど当時の女性たちの中でかっこよく映ったのです。
実際に日本では髷の結い方は色々とあります。
遊女から広まっていたと考えられていますが、100種類以上も作られていたのです。
どの髪型でも重要なのは、長い髪がなければできません。
それぞれに流行もあり、1624年から43年頃の寛永の頃に流行った兵庫髷も、1688年から1703年あたりの元禄の頃になると、流行遅れとされていたのです。
多くの結い方が作られていったことがわかりますが、それだけの髪の長さもなければいけません。
江戸時代の髪のケア
江戸時代になると、髪を洗う機会も月一回ぐらいになり、以前よりも頻繁で清潔な状態が作られるようになりました。
江戸時代に入り、用水路などの整備が進んだことも大きかったでしょう。
あまり知られていませんが、日本の水設備の進化は世界でもトップクラスで、特に江戸の街の整備は驚くほどのレベルだったのです。
当時はケア方法として伽羅油やサネカズラが使われました。
伽羅油とは鬢付け油の一つで、ごま油にろうそくの流れたもの、松ヤニ鉱油などを混ぜて作ったものです。
現在の鬢付け油の元になったもので、江戸時代になると自家製ではなく製品としても販売されるようになりました。
伽羅という名前が入っていますが、本来意味するところの香木は使っていません。
高級なものであるというイメージ戦略のネーミングだったのです。
髪を結い上げるのにはぴったりのヘアケア商品で、江戸末期になると多くの女性に使われるようになりました。
これがきっかけで様々な売り上げ方ができるようにもなったのです。
この時代も薄毛になるというのは非常に恥ずかしい状態とされました。
薄くなってしまうと、髪が結い上げられなくなるからです。
そこでかつらやウィッグも、江戸時代には売られるようになりました。
それだけ薄毛に対する対策方法が確立されていなかったと言ってもいいでしょう。
その中でも数少ない方法として、育毛剤も作られていたのです。
柑橘系の成分を使ったもので、現在の育毛シャンプーなどにも利用されていたりします。
このような原型が江戸時代に作られていたのは、それだけ薄毛に対する不安感があったと言い換えることができるでしょう。
近大の髪のケア方法
近代に入ると、髪のケアの方法も変わってきます。
大正時代に入ると石鹸で髪を洗うようになりますが、明治に入ってようやく普及し始めた程度であったため、まだシャンプーは存在しません。
体と一緒に洗っていた時代で、髪もショートにするなと変化が出てくるのです。
だんだんとシャンプーが出てきますが、初めのうちは粉末で現在のような液体が出回るのは昭和30年代以降になります。
様々な製品が作られるようになりヘアケアもできるようになりましたが、古き良き時代から続く髪をとかすという文化を忘れてはいけません。
櫛で髪をとかすことで、頭皮を刺激して血行を改善できます。
頭皮にある市をうまく活用し、髪を守るためのワックスの役割もできるのです。
髪を洗わないような時代があったとしても、髪をすくためには長い時間をかけていました。
これが黒髪を守るポイントであったのは間違いないでしょう。
まとめ
時代によって様々な違いがあったのは確かです。
どの時代でも女性にとって命とも言えるのが髪だったのは間違いないでしょう。
髪のケア方法なども違いがありますが、その時代に出来る限り守ろうと方法を編み出してきたのです。
その中でも共通なのは髪をとかすと言うわかりやすい方法となるため、日々の生活の中で忘れないようにしなければいけません。